宮部みゆき 『名もなき毒』 もどかしさは残るが本来の宮部みゆき復活の予感

犬を連れ、散歩途中の老人がコンビニで買ったウーロン茶を飲んで悶絶死した。首都圏で発生していた無差別連続毒殺事件の4人目の犠牲者か。今田コンツェルンの社内報を編集する杉田三郎はこの犠牲者の孫娘である女子高生と知り合うことから事件に巻き込まれる。いっぽう杉田の職場ではアルバイトをしていた26歳の娘をミスが多発するためにクビにしたことから、彼女の執拗、病的なクレームに編集局一同が振り回されている。彼女の異常な嫌がらせはやがて禍々しさが加わり杉田の家庭にまで入り込んでくる。
杉田三郎は女子高生のお祖父ちゃんを殺害した犯人を追う探偵役であり、悪意の塊である女クレーマーの生い立ちにある秘密をたどりつつその悪意に襲われる犠牲者でもある。
「著者3年ぶりの現代ミステリー、待望の刊行」とあった。3年前に刊行された現代ミステリーとは『誰か』のことである。『誰か』は期待はずれであった。それまでの宮部みゆきの持ち味がまるでなくなっていたからだ。
著者の代表作は『火車』 『理由』 『模倣犯』。いずれも傑作の現代ミステリー、クライムノヴェルだった。犯罪の背景にある社会構造を斬新な視点で捉え、そこからこれまでなかった犯罪者像をクローズアップさせた。それは新鮮で刺激的だった。ところがいつのまにか宮部みゆきの作品は現実を回避した、時代小説へ移っていった。そして人々の生活から社会性を捨象した「やさしさ一杯の感動、宮部ワールド」を表現していたのが最近の作品であった。『誰か』ですらそれであった。
『誰か』の杉本さんが登場するからこれもその延長かと思った。ところがどうしてこれは本来の宮部みゆきへの回帰が予感される、まさに現代ミステリーだった。
怨恨か金か名誉か保身か、昔から残酷な殺人事件はあったが、その殺意には周囲が腑におちる理由があった。ところが最近発生している殺人事件には動機が普通の人では皆目見当がつかないのだから、どうしようにもすべがないという不安がつきまとい、それだからひどく不気味である。
しかも、その犯人が周囲の人から「あのおとなしい人が」「あんないい子が」まさかといわれるようないっけん普通に見える人の場合も多いのだからますます困惑してしまう。
現代という社会はなるほど普通の人でも生き難い環境にあるのかもしれない。そう宮部はとらえている。
「現代社会では、『普通』であることはすなわち生きにくく、他を生かしにくいということだ………」
元警察官の北見が語るこの一言に宮部の視線はフォーカスしたようである。
さらにこの複雑で面倒な世の中に直面して戸惑う人間に「自己実現せよ」と押しつけるから怒りが爆発する。これはひとつのとらえかたであり、なるほどとも思う、現実を踏まえた見方だと思った。宮部らしさもある。
シックハウス症候群、住宅地の土壌汚染問題、あいまいな瑕疵担保責任の構成、老人介護問題、そして勝ち組、負け組みの存在をやむをえないとする格差社会。閉塞状態にある人々のぶつけようのない怒りのエネルギー。まさに生きにくい現代を素材にしている。
とはいえ、新たな犯罪者像は曖昧模糊として理解不能なのだ。作家がその想像力にまかせて新概念で説明できるしろものではないようだ。宮部もそこは書き込んでいない。わからないままに放りっぱなしにすることがこの小説のリアル感を担保している。
ただし、読んでいてこれだけシリアスなテーマにもかかわらず全体のトーンに緊張感が欠如している。このギャップに最後までもどかしさをぬぐいきれなかった。それは大金持ちの娘と結婚して贅沢で円満な家庭生活に安住している杉田三郎を狂言回しとしているからなのだが、この設定の意図が私には理解できない。
「今田コンツェルン」、杉田さんの義父が会長をつとめる財閥企業の名称なのだが、いまどき○○コンツェルンなどと恥ずかしい名前をつけるオーナーはいません。宮部の頭の中は多角的企業、あるいは財閥の代名詞は固有名詞としては今使わなくなった「コンツェルン」なのだろうか。
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