ドナ・W・クロス 『女教皇ヨハンナ』まさかこんなにスリリングな小説だったとは!!

「カトリック教会の公式記録から抹消され、伝承のみに語られてきた男装の女教皇。激動の中世ヨーロッパを舞台に、史実の間から謎の女性教皇の姿が浮かび上がる!歴史大河ロマンス」
とコピーを見ると、これはいくつもの文献を引用して歴史の裏をひもといたノンフィクション系フィクションか。堅物のそれなら襟を正して読むべきと腹を据えたものだが、とんでもない、冒頭からのサスペンスタッチに、危機又危機の連続と冒険小説なみの興奮。 読み出したら止められない。
これはいわばジェットコースター型エンタテインメントのジャンルではないか。
ローマ帝国が滅亡し法と秩序が崩壊したヨーロッパ。無法と暴力が圧倒する時代。ゲルマン民族は唯一の国家・フランク王国を形成しその軍事力をもってヨーロッパ全域を手中に収める。いつの時代でもそうなのだが侵略者・征服者はただ腕力だけで権力を揮うのではない。侵略した土地土地の、勢力下においた民族の、生活基盤を強奪するばかりか、固有の慣習、掟、秩序、文化を破壊し、そのよって立つ精神までも破滅させ、屈辱を強いるものだ。そしてキリスト教の布教活動が侵略の尖兵となって異教徒の群れを圧殺していく。
9世紀、フランク王国の辺境、飢えと寒さで死と隣り合わせている貧しい生活環境。難産の末に誕生した女の子・ヨハンナ。
女のくせに勉強したいなんておかしいと誰もが言う。それでも学びたい。より広い世界を覗いてみたい。さまざまな考えがあり、学ぶ機会の多い、そんな世界を。ほかの娘たちはそうしたことにまるで関心がない。ミサのあいだじゅう、ひと言も理解できずに座っていることになんの疑問も抱かない。人が言ったことだけを聞いて満足し、それ以上知ろうとしない。彼女たちの夢は、よい夫、つまり優しくて暴力を振るわない男と、耕作可能な土地を手に入れること。村という安全な住みなれた世界の外へ出ようとは誰も思わない。村の娘たちにとってヨハンナが不可解であるように、ヨハンナにとっても村の娘たちは不可解だった。
さて、この女の子の高い自覚はどうだろうかと、ふと思う。現代の女性であれば誰しもがもっているのだろうか、いやいや「村の娘」さん程度の方もも多いでしょうねと。
しかし、ヨハンナの父は聖職ヒエラルヒーの末端にある布教活動者である。異教徒の妻を虐げ、女として生まれたヨハンナの向学心を憎しみで踏みにじる。このキリスト者の女性に対する偏見は幼女の精神をいたぶり、その虐待は彼女の肉体を深く傷つける。身の毛がよだつ凄惨な場面が連続する。
無知からなる母親の盲目的愛にも決別してついにヨハンナは村を捨てる。
そして聖職者の男として生きることを決意する。路地裏の占い師が彼女の輝ける未来を予言する。そして権力の中枢、教皇の座にまで上り詰める劇的な女の一生が描かれる。
「下流社会」なんて言葉が流行ってしまうほど、それはいまでは死語になったしまった感のある立身出世物語でもある。立身出世物語の傑作、浅田次郎『蒼穹の昴』、優れた歴史小説のもつ重厚さに加えて一貫していた痛快感は心地よかった。似たようなところがあった。ただし彼女のその動機は「野心」ではない。米倉涼子の悪女型上昇思考とはまるで違う。
それは叡智が導く真理の探究である。奥ははるかに深いものがあった。
身を立て名をあげ、やよ はげめやとそんな卒業式の歌はなくなっているのだろうね。何のために名をあげるのと質問されるのがオチかな。自分の欲望を貫くためと答える人はいるかもしれない。だからこの物語のように世のため人のためという崇高な志への疑問の余地のないストレートな賛歌にノスタルジーの同居する新鮮さを感じるのだ。
凄い小説が登場したものだ。
下巻へつづく
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