佐々木譲 『ベルリン飛行指令』 現代に通ずる男たちの孤高に生きる美学
2005/10/01 16:43[下へ]




この小説は「著者前書き」で元本田技研の取締役浅野敏彦氏から著者佐々木譲が「第二次大戦中に日本海軍の零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦がドイツに飛んだ事実があるのではないか」との話を聞いたことに始まります。実在した戦争秘話とする体裁はストーリーでも一貫して、背景にある国際関係の緊張状態が生々しく伝わり、そのため、戦争という非人道の極限状況でしか生きられなかった男たちの孤高の美学が静かに現代を生きる読者のこころをとらえるのです。
1940年、三国同盟が成立したばかりの欧州戦線。ドイツ空軍がロンドン制空権を確保するには航続距離のより長い戦闘機が必要であると判断したヒトラーはこのゼロ戦のライセンス生産をしようと、三国同盟を楯にとりあえず実験機として二機の移送を求めた。
横須賀からベルリンまでの最短距離はロシアルートであるが対ソ戦を準備するドイツがこの航路を拒絶する。インド、イラク経由のルートだけが残されるが、ここはイギリス空軍が行く手を阻む。英国植民地内の中継基地の確保とこの命がけの輸送を成功させる飛行技術を備えたパイロットの確保がこの物語前半の読みどころです。

三国同盟の成立に危機感をもつ男、やがてアメリカを敵とした日本のたどる運命を予見する男、英国植民地内にいて民族独立の悲願を目の当たりにしている男、政府・軍に所属しこのベルリン飛行指令の無意味さを知り尽くしている男たちが不可能と思われる作戦を準備していく。
彼らがパイロットとして最終的に選び抜いたのはいわば軍隊組織のアウトサイダーであった。抜群の撃墜王、安藤啓一大尉と乾恭平空曹。軍規違反で挑んだ一騎打ち空中戦にフェアプレイ精神で勝利し、仲間内で喝采を浴びる。南京市民を巻き込んだ空からの無差別銃撃にあえて加わらなかった。特務機関の大物が混雑する市中で抗日テロ分子を銃撃するところを妨害する。
海軍をドロップアウトしていくプロセス、二人の硬骨漢の実に痛快なエピソードが語られるのです。

なおインドの地方藩主が中心となった反英独立運動の挿話はこの作品に厚みをくわえています。あの侵略戦争がアジア解放のためにあったなどと毛頭いうつもりはありません。ただ、強大な軍事力で植民地化されている弱小国が流血を覚悟して独立を達成しようとすれば、狼が虎に変わる危惧を持ちながらも、第三者・大日本帝国の支援を期待する政治的状況は事実としてあったのだろうと思いますね。

そして後半は英国の包囲網をかいくぐり、ベルリンまでのスリリングな飛行行程が続く。

今回は再読なのですが、平成8年初めて読んだ時には日本では珍しい戦争冒険小説の傑作だとの印象を強く受けました。しかしどうだろうか。その後ずいぶんと冒険小説を読んだからかもしれませんが、肝心のアクションシーンは不足しているし、英国側の妨害活動には精彩がないからどうも緊迫感がないのです。軍規に逆らう勇気や戦火の中の男の友情だって昔からあるありふれたテーマだと言えなくはない。

しかし、この二人を含め登場人物がよく描けていて一人一人がとても魅力的な人間なのです。物語の時間軸が過去を懐古する現代に戻って終了するせいでしょう、その魅力にはノスタルジックな「反骨精神」があり、ロマンティックな「人道主義精神」もありますが、むしろ価値観が混沌として右往左往している現在をしたたかに生き抜くのに必要な共通したあるパーソナリティーを示唆している………と今回はそんな余韻が残るのです。

つい最近読んだせいか藤原伊織『シリウスの道』の主人公と重なるんですね。
ハードボイルド世界の美学に通じるもの、誇り高くおのれの矜持を貫くというカッコイイ姿勢なのだが、小説にしたって本物のハードボイルドヒーローは実はやせ我慢でなんとかこれをやっている奴のようだ。
共通したあるパーソナリティー、それはひと言では「プロフェッショナル精神」と呼ばれる。身につけた優れたスキルを活かすことで現代社会を生きていく。そのスキルを発揮できる組織であればそれにこしたことはないのだが、実際には組織の論理と矛盾し立ち往生するものだ。しかし逃げない。我慢してなんとか折り合いながら自分を貫くこと。つまりスキルだけではない、この折り合いをつけることができるのもプロに必要な素質だ。
そしてわたし自身がそんな生き方をできたのかと振り返った時、この作品に登場する人物たちのカッコよさの陰にあっただろう「やせ我慢」の部分が見えてきて、私には彼らのようなあまりカッコいいところはなかったんだが、やせ我慢のところはせつなくて、おおいに共感できると思ったのです。




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