北方謙三『水滸伝』第五巻「玄武の章」スローガン「替天行道」とは
2005/07/15 22:33[下へ]




北方・梁山泊のは原典「水滸伝」のそれとはかなり異なるのではないかと思いつつ………。
梁山泊の首領は宋江と晁蓋である。ここにやがて数万人の賊徒が結集する。108人の親分たちは宋江の主張する革命思想に共感するのである。それを書き表したものが檄文あるいはパンフレットの「替天行道」だ。その具体的内容は明らかにされないのだが、おそらく君主独裁の権力機構を打倒し、民の安寧と繁栄を希求する「民主」の政治機構を擁立せんとする主張を平易にしかも熱烈に語りかけている小冊子であろうと推測できる。
この「志」に無頼の輩、失意のインテリ、体制からドロップアウトした英傑、埋もれた才覚、失うものは鉄鎖のみという底辺にある大衆が涙し、共鳴し、字を読めないものも学び、このためなら命を投げ出してもかまわないとまで心酔することになるわけである。しかし、どう考えても画に描いたような政権構想にすぎないのだから「意気に感じた」程度では宋王朝を倒せるまでの民の力の結集はありえまい。この設定はいかにも無理がある。

原書の水滸伝にもこのスローガンがある。中国の思想で「天」とは世界に秩序を与える絶対的な力の根源をさす。その人格化された概念が宇宙にある存在としての天帝であり、天子=皇帝とは天帝の命を受けた現実世界の支配者である。天帝は天の命令を下して一つの王朝に天下の統治をまかせるのであり、この構造自体が「替天行道」そのものなのだ。したがって「替天行道」には王朝制度を覆すという発想はなく、逆に「天=天帝=天子」という絶対者のために「忠義」を貫く思想であり、国体護持の保守的思想なのだ。水滸伝はこのために忠義水滸伝とも称される。

高島俊男著『水滸伝の世界』を読むと原書にある宋江の狙いとは英雄・豪傑・知将を集め、力を誇示しやがて朝廷にこの軍団を高値で売りつけることにある。天子様の錦の御旗の下に帰順しようとは一笑に付すべきといおうか、いかにも次元の低い目的だ。戦後の少年時代に読んだ「水滸伝」の尻切れトンボで後味の悪さが残る印象であった理由はこの骨格にあったのだと思う。戦後の大衆小説家が本格的に「水滸伝」を取り上げなかったのもこの骨格の根本を変える発想がなかったからに違いない。しかし当時の中国の時代性からすればこれは現実的な発想であり、匪賊、強盗の連中が結束することになるのもうなずけるのである。

ラストまで読まないと断定はできないのだが、このために北方版『水滸伝』の骨格は時代性を無視した作家のご都合主義だと言えそうである。歴史小説としては限界を感じる。
しかしだ。だからこそ、水滸伝を現代の読者にここまで楽しく読ませる物語に変えることができたのである。歴史小説ではない。北方の作り上げた独自の大長編冒険小説だと解釈すればご都合主義もいいではないか。その無理を一蹴してこのエンターテインメントを存分に堪能したい。

2004/07/04




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