ヴィクトル・スタルヒンですか 辻原登『枯葉の中…」に寄せて
「ヴィクトル・スタルヒン ― 辻原登『枯葉の中の青い炎』について」について
スタルヒンとシャーマニズムですか。スタルヒンには伝説的なところが備わっているのですね。
旭川にスタルヒン球場があります。
銅像が建っていて台座にはおよそこのように説明されています。
スタルヒン像建立に寄せて
スタルヒンは、一九一六年ロシアに生れ、幼少の頃両親と共に日本に亡命、旭川に定住した。
日章小学校に入学して野球に魅せられ、旭川中学校に進むに及び、エースとしてマウンドに立ち、全国中等球界に旭中にスタルヒン在りの声高まる。
一九三四年学業半ばに、プロ野球草創期の巨人軍にスカウトされ、彼の剛速球は年毎に真価を発揮し、一九五五年プロ野球史上初の三百勝投手となる。
一九五七年一月一二日自動車事故のため四○才の若さでこの世を去る。
旭川が生み、旭川が育てた大投手スタルヒンの面影を今こそ遺さねばと、旭中OBの気運が熱し、地元旭川を始め、東京、札幌と幅広く協力を求め、多くの人々の善意に満ちた激励と好意に依り、巨人軍時代の雄姿が再現した。
このスタルヒン像が彼の輝かしい球歴を偲び、栄光を讃えて顕彰像となり、次代を担う若い球児に夢と希望を与えるアイドルとなれば幸である。
私は野球は苦手なのですが最近スタルヒンの感動的逸話を小説化した作品を読みました。
西木正明『凍れる瞳』です。どこまでがほんとうなのかはわかりません。
白系ロシア人としての差別。旭川中学時代の劇的な試合。戦後GHQでの情報官がこの作品にあります。
昭和8年、旭川市営球場。甲子園出場を賭けて戦った投手と打者に人知れず友情の強い契りがうまれた。戦争と終戦と戦後をとおして、それぞれに栄光と挫折を体に刻んだふたりの若者。男たちの太い絆を知ることなく、その一人に恋をした女がいた。恋人たちに訪れる突然の破局、やがて知ることになるもうひとりの男の真心。その後、結婚して、長い年月が流れた。そのあいだ、ただいきていくだけの人生にすぎなかった老女が今、豪雪に埋もれる宿屋で孫娘に語る、たったひとつの生きていたことのあかし。表題作「凍れる瞳」(直木賞)
わが身を振り返って、人に語れるものがある人生だったのだろうかと、ふとそんなことが頭をよぎる歳になっているものだから目頭を熱くします。
機会がありましたらぜひお読みください。
『凍れる瞳』
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